少年時代

少年時代ですか。

まあ昔から人前でコントやったりするのが好きな子供でしたね。

小学校6年生の時ですね。
友達の杉原君と中原くんと公民館のクリスマス会でコントをやりましたね。
南方の前線で食事をしてる旧日本兵っていう設定なんですけど、
缶詰とか食べてると、「アメリカ兵が来たぞー」って誰かが叫んで「ぶーっ」って
食べ物吹き出して、匍匐前進の後に「鬼畜米英」って書いたゴミ袋に新聞紙丸めて
入れた人形をバットでひたすらぶん殴るっていう
コントというか憂さ晴らしというか、そういうシュールなことやってましたね。
ほかの子供達はただぽかんと見てて、世話役のおじいちゃんだけが
「なつかしいな」
って言ってくれたのを覚えてます。
とにかくひねくれた餓鬼でしたね。

私は山口県の防府市立右田小学校に通いました。
「人権」とか「体罰」とか問題になるちょっと前だったんで、
生徒を殴ったり言葉で傷つけたりっていうのがまだOKっだった時代でしたね。
一度同じクラスの男の子が、給食に毎日出るいりこ(煮干し)が食べられなくて、
毎日せっせと、机の中に隠してたことがありました。
それがある日担任の戦中派のばばあに見つかっちゃいまして、
その子は可哀相に、山盛りのかびだらけのいりこを泣きながら食べさせられてたことがありましたね。
今なら当然懲戒免職ですが、当時はそれが許された。
ほのぼのとした時代だったんですね。

まあ、私がひねくれて育ったのは、教育が悪かったんですよ、きっと。
それでも言い過ぎなら、本人の資質8割、教育2割じゃないですか。


中学生になったころから、おぼろげに芸人かコント作家になりたいと
思ってましたね。

高校は山口県立防府高校に通いました。
良く調べてから決めればよかったんですが、
けっこうな進学校だったんで、たちまち落こぼれてしまいました。
志望の理由が、「マラソン大会がない」ですからね。
落こぼれて当然でしょう。

成績が学年で361人中360番。下から2番目。
しかも361番目の子は不登校だったっていうんですから救いようがないですね。

まあこの頃から、まっとうな人生をあきらめて、
芸人のような刹那的職業にあこがれるようになりましたね。


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